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2006年1月

2006-01-31

メルマガの教科書

メルマガコンサルの平野さんが
新しいサイト「メルマガの教科書」を立ち上げた。

まとまっていて
かーなーり有益です。

この中を見ていると
メルマガでもよく言っていますが
平野さんが出版を応援したいことがわかる。

出版が決まったけれど(売れるかな?)・・・というみなさん
平野さんにご一報を!

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2006-01-30

新月の断食

GA061_tuki
新月の断食があるのなら
満月の飽食があってもいい

さておき
今年はなるべくやりたくない仕事を減らそうと思っている。
といっても昨年フリーになったばかりなので
そんなことは言っていられないといえば
そうなのであるが。

しかし目の前の現金に目がくらむと
時間をただ浪費してしまうような気がしてならないのは私だけではあるまい。

断食があってこその
飽食なのだ


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2006-01-28

品川MTG

本日は品川でMTG
昨年ビアホールで会ったWさんと

なにやら面白そうな話あり
共通点もあり盛り上がりつつ終了。

一番、激しく同意なのは
一年の境目は節分だっていう話。

これからが面白くなりそうです

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2006-01-22

無駄な抵抗終了

パスポートの更新時期が来た。

いままでずっと
どうせ結婚したら換えるからと
5年更新にしていたが、けっこう5年ってすぐ。

まったく予定もないため
更新がめんどくさくなってきた。

そしてついに
10年パスポートゲット!

無駄な抵抗終了したな・・・


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2006-01-19

何でも屋

緊急事態のため
編集に頼まれてレシピ制作と料理制作
そして写真撮影もやっちゃいました。

02_img5
こんなやつ。ついでに栄養コメントまで。
もともと栄養関係の勉強もしていた時代があるため、
カロリー計算も料理も得意。
しかも、写真部に1年だけいたため最低限の写真の知識もあるのだった。

しかし、言われるところの何でも屋だな、これは。いかん。

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2006-01-18

住みやすい町

電車の中から見える多摩川沿いの空き地。

年末より確実に
青いシートでできたビニールハウスが
年末より明らかに増えた

1-2mおきに30軒ぐらい
まるで普通の町並みのよう

都内では、取締りや強制収容などが行われているが
神奈川県内では、そういうこともないらしい。

彼らにとっては住みやすい町なのだろう。
畑と作ったりかなり自給自足もされているとみた。

たしかに、タイの歓楽街と見間がうばかりの某地帯を見ても
神奈川の甘さは都内の比ではない


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2006-01-17

徒然セミナー

セミナーといえば、一昨年5月の非凡塾から始まって
あっという間に横の広がりで参加も増えていたのですが
今年になって、いろいろな方から
セミナーを主催するというお知らせをいただいています。


しかしながら・・・

一昨年は、非凡塾と無敵会議など
仕事上の必要な情報収集のためWEB関係のセミナーに
前半は月2-3回、後半から4-5回くらい

昨年はフリーになったため経営や出版関係のセミナーに
1‐4月まではともかく
8月-12月からはちょっと増ぐらいでした

。。。。いや

今数えたら月最低でも2回、
多いときは6回もでてるじゃん!!(異常)


今年はといえば、
ややいきつくした感あり、
というかある程度のパターンが見えてきて飽きてきた。。。

みなさんにお誘いいただいているのですが
不義理になることも多くなると思います
のでここで断っておきます。ぺこり


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2006-01-16

海老様ゲット!

正月に母と歌舞伎座に四代目坂田藤十郎
襲名披露を見にに行ったのですが
あまり面白くなかった(爆)
kabiki

海老蔵がみた~い!と叫んでみたら
新橋演舞場での海老蔵チケットがまわってきた!

やった!ラッキー!!

会いたい人に会えて
欲しいものが手に入る今日この頃

なんて素晴らしき世界

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2006-01-15

新宿ゴールデン街のママ

今回は個人的趣味でゴールデン街で

ポニーという店を38年やっているママのインタビューです。

「ポニーのママ・インタビュー」
ポニーのママは、ここゴールデン街で店を38年も営んでいる長年、新宿の歴史を見て来た貴重なひとりだ。ゴールデン街というと特殊な店を想像するがここは懐かしい家に来た気分で飲ませてくれる

開店時間ぎりぎりに店を訪れると「寒かったでしょ。いま墨を起こすからね。」ママは、昔ながらの墨を起し、囲炉裏にいれてくれる。「墨を起こすのも一仕事で、この年だとおっくうになっちゃって」そういいながらも、寒い外から来るお客さんのために、ママは毎日墨を起こすのだ。ママ生粋の江戸っ子らしいきっぷもよさもあいまって、その店内は古いながらも清潔で細やかな気遣いが行き届きすがすがしい。

地上げの以前に、大家さんたちがね、共同ビルを建てて。開発の。
始めはみんな従来の賃貸住宅でみんな借りていたけど、当然私も借りたときは賃貸契約で借りたんで
す。でも2年経って再契約するときに自分たちで共同ビル建てようっていう計画ができてたもんだか
ら、一時使用っていう変な契約書に変えられちゃったんですよ。

>一時使用とは?

一時使用ってのは条件がついていて、長く貸しませんよ、何かあったら文句無くどきますという普通
の賃貸より弱い契約。
そんなこと知らないでしょ?契約更新したら・・・

今までは大家さんと直だったのに、契約更新のときは組合事務所で弁護士さんが立ち会って、弁護士
さんの印鑑がいる、あとで弁護士の印を押すから先にあなたのを押してくれと言われて押したら、一
時使用だった。

すぐ弁護士さんに相談して、普通の契約書だと思ったのに、契約料も取らたわけですよ。そんな不利
な契約するわけがない。

という内容証明を送った。従来の賃貸契約に戻せって。

なしのつぶて。

2年経っちゃったんですよ。そのまんま。その間に、みんなどんどん契約更新して、そういう風にさ
れているわけ。私が第一号。お隣のママさん1年後れで同じことになった。共同の弁護士さんで、次
の更新のとき、家賃の値上げと更新料いくらって。前のことには触れずに。

送った内容証明のとおり、従来どおりになおすなら・・・といったら、訴えられたんですよ。どいて
くれといわれて、それで裁判が始まったんですよね。

弁護士さんが「いろんな迫害があるかもしれないけど大丈夫ですか」と言われたんですよ。先生も応
援してくれるけど、毎日いてくれるわけじゃない。

「そんなの怖くないから大丈夫」始めの1年は私ひとりでしょ。ヤクザが来るかもしれないけど平気
?って。交番が近くにあるから大丈夫。
特別ヤクザは来なかったですよ。いやがらせは何回かあった。

上に大家さんが住んでいて、夜うるさいって警察に訴えるんですよ。取り締まってくれって。おまわ
りさんきますよね。しょうがないから。

あなたたちは、ここを貸して生活してるでしょ。
私たちはここで商売して、ここは商業地区でうるさいのを知ってて貸ししている。

ここは専門のギタリストがいて、みんなが歌えるようになってたの。カラオケのずっと前だったから
。みんなが音楽で歌ってて「うるさい」といわれて、ボリューム最大限に大きくしてやったの。
そういう商売してる人に貸してるくせになに言ってるの!と、ギターの先生がおろおろしてたけど、
「かまわないから先生ボリューム上げて!」って。若かったからよくやりましたよね。
そしたら、裁判が進んできて。

>裁判の時間は?

一時使用の問題は、2年じゃきかなかったかな?けっこう長かったです。
その間に苦労したのが、みなさんやっぱり「大家さんとはあまりあらそいたくない」って。
とりあえず私が裁判第一号で、1年遅れてお隣のママも一緒になって、弁護士さんの指示でみんなが
どういう契約書をつかまされたか調べなきゃいけない。1件1件チェックして、そういうのを裁判所
に提出して。弁護士費用を払わなくても、私たちが勝つことによって他の人たちも・・・
今の状態をみんなに分かってもらって、みんなも自分のお店のことだから仲間もひとりふたり増えて
、裁判の傍聴したりしたことありましたよ。
結局大家さんが負けたんです。私たちが120%、完璧に勝った。

>時期は?

昭和42年に借りて、44年のときに一時使用をつかまされて2年たったから、昭和46年から始ま
って50年くらいまで。
そんなことが何年かあったんですよ。
私は大家さんたちから評判悪かったけど、どってことないからね。

>一時使用のことを皆知らない?

みんな知らないですよ。そういうことを説得して歩いても、踏み切る人もいない。毎日顔を合わせる
のに大家さんとけんかしたらやだとか。

私は裁判所で角つきあわせてね、いろいろ言うんだけど、夕方大家さんに会うと「おはようございま
す」って。
お隣のママは、裁判したら気が立ってふんといった顔だけど、私は挨拶すると、向こうの弁護士さん
は、2人の店子のうち、うちの方が気がよさそうだねって。するとうちの弁護士は「あなたの方がよ
っぽど怖いのにね」って。大笑い。いろんなことがありました。

おかげさまで勝って、しばらくしてからバブル。

>バブルは昭和60年すぎくらいから?

昭和52年には裁判もう終わってました。ゴタゴタは3~4年。
そのつど賃料の値上げだとか、法外なことを言ってくるでしょ。そのたびに応じられないといって、
すったもんだして、裁判のあとに賃料のことで何回も裁判しましたからね。

今は、ここを一時しめちゃったけど、再開してますでしょ?
そういう人たちは、新借家法の契約ですよね。
私たち、ごく一握りは従来の。

向こうでも、バラバラだと思います。
1件1件がたぶん違うと思いますね。

>それぞれ開店時期も違うし?

そうですね。
バブルのときに大家さんが、・・・いきなり地上げに売っちゃって「みなさんがんばってください」
といって、大金もらって越してっちゃって、地上げ屋は「契約更新しないから、期日が来たらどいて
くれ」って。

冗談じゃないっつって、弁護士さんをまたたてて。ここ38年、ずっと弁護士さんの縁が切れないの

闘争的な人生送っちゃったわね。バカみたいね。

>今の大家さんは?

整備興行ってところが管理してるの。従来の大家さんが貸してるところもあります。複雑なの。もと
もとの地主が店舗貸してるところと、うちなんかは地上げ屋さん。
地上げ屋っていうのががどこだかはわからないんですよ。いろいろ言われるけど、その正体はわから
なくて、管理会社がいるんです。今は整備興行と言う会社がすべてまとめてる。

地上げを失敗してから、管理会社が何度かかわったんです。最初はごろつきの不動産屋ばかりだった
けど、今はきちんとして町のこと考えてくれて。今は一番穏やか。それが地上げ屋さんの方針なのか
、なるだけ店子とトラブル起こさないように、たいはんが今の新借家法の契約になってるから、今度
地上げがあったときは楽なんじゃないかな?と今度どかすのはね。そんなに地上げ屋さんがこわもて
にしなくてもいいんじゃないかしら?

>穏やかな地上げ屋って想像つかないですが

今は管理会社。どっか大元がもってるけど、どこだかはわからない。

>ここ何年かは落ち着いてる?

ええ、そうですね。
バブルのときに、地上げ屋が来てどいてくれと交渉来たりいろいろあるけど、そういうのは個々で皆
さん口にチャックしてるから、実態がわからない。ある日突然やめていく。いくら立ち退き料があっ
たかも秘密だし。口止めされてて、どこがどれだけもらったかは全然わからない。

うちはどうですかって地上げ屋がきたことはない。ただ内容証明でどいてほしいって、また裁判。向
こうの弁護士さんと顔あわせて、「建物ぼろくなってきてるしぼちぼちこのへんでどいたら」といわ
れたけど、「うちは大丈夫みたいですよ」と言ったんです。そしたら「お見受けしたところあなたも
だいぶ年」といわれ、「そうねー建物より人間のが先にダメかな?」なんて。
そのとき1回700万と言ったんですよ。「冗談でしょ、あなたお味噌汁で顔洗って出直してよ」と
言ったら、それっきり言われたことなかった。

その頃、弁護士さんが「大家がすごいお金で売ったんだから、借りてる人たちに7000万くらいに
いいなさいよ」って。「先生、そんな」っていったら「そういって向こうが叩いて、こっちが下って
いってって」なんて。
みんな「1億でも、5000万もらってもどかない!」と意気軒昂な人もいた。でも私は「1億もら
ったら喜んでたたんじゃう」と言った。

あれはなんだったんでしょうね。

>またバブルが来ると言われてますが?

不動産関係で、歌舞伎町のビルを買い占めてる人がいるから、多少そういう動きははあるかもね。
まあ私の考えでは、自分の土地じゃないからね。1坪でも自分の土地だったらどんなことしても頑張
れるってあるけど、人の土地で建物借りてるわけですから、どんなに頑張ったってどかなきゃいけな
いときがあるかもしれないよ。

私がその当時からいってるのは、ここで生計をたててるわけだから、どかすほうも自分たちの商売で
いろんなこと考えてどかそうとしてるんだから、どかす人たちの生計がなりたつようなどかしかたを
すれば争うようなことないでしょ。

例えば、「1億つまれてもどかない」なんて言葉のあやだけど、正直そういう人も1億もらったらど
いちゃうよ。そんなオーバーなことをいうんじゃなくて、当時新聞社のひととか取材の人にも「面白
おかしいことは言わないで」と。自分たちの生活がなりたつような話し合いをする、それなら話し合
いのテーブルにつきますよと。

嫌がらせをされたり、お店の裏に汚い話だけど大をつまれていた、そんなこともあったみたい。

ここを始め借りた頃は、まだゴールデン街と言ってなくて、ここは花園街とかそういう名称だったの

裁判してたころに、イメージが悪いから名前をみんなに応募してもらって、決まったのが新宿ゴール
デン街っていう名前に決まったの。

この間の本だと、ちょっと記録が違うんです。

>花町っぽい書き方をしてる?

私がここの大家さんたちと裁判やりだしてからですから、ここの名前が変わったのは。それまでは、
花園商業組合という名前だったんです。

>この方がカメラマン?

渡辺さんは違うよ。
新宿の写真とった人がいるのよ。
でもどっちかというとこの人は、ゴールデン街というと本当にいかがわしい・・・。
まともにお仕事した人もいるんですよ。
あんまりへんなのも出すとイメージがね。

紀伊国屋の有名な社長、田辺さん?この人のお店に来てて、お前出せって言われて出版したって言っ
てるらしいけど、主に出てるのは裏の方のごちゃごちゃしたいかがわしいお店のことがほとんどで、
終戦後しばらくしてからこの界隈があおせんだったころのことがいっぱい書いてあるわけですよ。
私はお店出すころ、あおせんだったなんてことは知らなかったんですから。

あおせん、あかせんが廃止になったのが、昭和33年3
月31日で、そういうのは一切禁止されたんです。うちは42年に出してるから。

ただ、なごりはあった。来るお客さんはまだ残ってるんじゃないかとか、もぐりでやってるとこもあ
ったみたい。

ここへ入ってきたお客さんが「二階ある?」って言われて。
二階ある?っていうのは、女の子とそういうことある?っていう問いかけだったらしいの。
私は知らないから「はい、ございます」って言ったんですよ。だって二階ありますもんね。大家さん
住んでるし。上がってもいいかと言われて、変なひとと思って「申し訳ないけど大家さんの入り口は
横手にありますからそちらから」って。
周りのお客さんはクスクス笑って。その人は出てっちゃったの。
変な人なんだろ?といったら、ママわかってるの?って。
昔は二階で、働いてる女の子が売春することになってたの。

新宿2丁目が赤線でしょ、ここがあおせんと言われた。

>横浜にもありますよね?

私、ここを借りてから、通りがかった板前さんが、古い冷蔵庫はこぶのを手伝ってくれて、そこにお
礼で板前さんのお店に行ってお食事してたら、壁からいきなり人が出てきたの。忍者屋敷。
よくみれば、扉みたいになってたけど一見壁面。

それは、2階から手入れがあったときにどどどと逃げてこれるようになってたの。そういうつくりの
お店。
あおせんの頃は、とんでもないところからバーっと。
この辺もみんなそうだったんじゃないですか。

それで、一応はそういうのが取り締まりになってからは、表向きはちゃんとした営業のお店がだんだ
んふえてきて、今はほとんどないですね。

>錦糸町とか下町はある?

男の人がいるかぎり、そういうのはなくならないんでしょうね。

私は知らないでお店出したんですけど、当時は12時過ぎたらお酒売っちゃいけないというのがあっ
たみたいなのね。条例みたいなのが。

>風営法の前ですよね?

私は知らないで、表をお客さんがゴミを散らかしたから、表を掃いてたらおまわりさんが「あんたど
この店?」って。「ここです」って目の前の店だから言ったら
「12時過ぎて営業したらいけないから」
って言ったら捕まっちゃった。
「そんなの知りませんでした」っていったら「知らないでお店出せるわけないでしょ」って言われて

次の日四谷出頭させられたの。

みんなけっこうつかまるのよね。私は知らないでお店あけてたから、
でも、おかしな話よね。大の大人が12時過ぎてお酒飲んじゃいけないなんて。
それから風営法で、表に丸い看板を全部つけたんですよ。

組合が責任持って警察との話し合いをして、私たち組合員は言われたとおりつけて、12時過ぎたら
お客さんの隣に座ってお酌したらいけない、タバコの火をつけちゃいけないとか言われたみたいです

>接客しちゃいけない?

食べ物、スナックを出せばいい、食事ならいいって。
私はもともとお客さんにお酌も、タバコの火もつけたことないから、知ったこと無いといってやらな
かったけど。
でも、風俗のあれをとらされたのかな?よくわからないんですけど。

銀行で融資してもらおうと思って言ったら「お宅風俗のとってますね」って言われて。そういうとこ
ろにはお金貸せないと言われて。
頭にきて、すぐ警察言って、すいませんけど風俗なんて返上しますって、その場で返上して。

今でも警察から年末になると、営業の方針をちゃんと許可するような1日講習会みたいのがあるんで
す。
うちはこないんです。返上したから。
うちは普通の飲食店なんです。たぶん警察の分類では飲食店扱い。

>組合はここの一帯の人は全部?

始めはね。バブルの前に組合があったときは。地主さんたちが主に役員をしてたんです。バブルのと
きにみんな家主が売って出て行って、ほとんど役員がいなくなったから、店子たちがどうしようもな
いし結束して、何人か役員を選出して組合をやりだしたんです。
だから、大家組合と店子組合があるんです。始めの頃は大家と店子の協同組合だったんですが、今は
完全に分かれてるんです。貸してる側と借りてる側と。

>その2つが話し合うことは?

ありますよ。いろいろと下水の問題だとか。街灯も昔からの契約で、どちらがもつとか規約がありま
すから、そういう話し合いはあります。

>仲良くやってる?

バブルの最中に、大家さんがバタバタ出て行ったころに、私が裁判の経験もあって役員の1人にはい
って、大家さんたちがあらかたほっぽり出していった組合の帳面とか、何がどうなってるかわからな
い、当時役員やってたひとがみんな手弁当で。
組合費を毎月おさめていたのも、どう使われていくら残ってるのか全然わからない中から、それをみ
んなで苦労して軌道乗せて。大変でしたよ。

>運営は大変?

本当に大変だったとき、放火されたりとか、組合をやっていくのに大家さんがいなくなった組合事務
所に、おばあちゃまの事務員さんが1人いて、どこのだれかわからない人が、自分で帳面もってたの
を見せたがらないのをなだめすかして、全部ひっくり返してみて、全部やって、組合のおばさんにや
めてもらったり、みんなで力合わせてやってくしかないって。当時10人の役員で。

>その放火は?

地上げ屋に。
組合費の中ではまかなえないから、少し夜警を頼んで、土日祭日は任せて。
バブルがはじけてしばらくして落ち着いてきて、今が一番落ち着いてるんじゃないかな。組合運営も

去年、長いことやってきた理事長がやめて、新しい理事長になって、今年改選だから2年たってて、
何事ももめてることがないから、組合も起動に乗ってね。
去年の暮れに大掃除があって、私も出たんですけど、まとまってきてますよね。みな力を合わせて。
すごくいいことだと思うんですよ。

前、地上げのころにそれに対抗してやった役員さんたちも、そりゃもう人に言えない苦労をして大変
なときもあったけど、今日ひきつづきずっとやってきて、今は本当にまとまって。
大掃除の後集まって、1杯飲んでごくろうさんって、みんな仲良くやっていくのに組合がきちんとし
ている。そんな変なヤクザとかはないですね。

>お店のほうは落ち着いている?

ここのお店だけだったら、うちは30何年あいも変わらずっていう感じ。
外は地上げやら何があろうが、1つ1つはいろんなことがあるけれど、どってことないですね。
やっぱり若い頃はどんな苦労があったって乗り越えられるし、今は何もないけど年取ってきてるじゃ
ない。

それから、景気不景気ってあるでしょ。うちは世間が景気がいいバブルの時だってそんなウハウハい
うほどじゃないじゃない。
このへんなんて、バブルもへったくれもない。一生懸命仕事してれば、お客様がね。
こういうところは、社用なんてお客じゃなくて、みんなが普通に飲みに来るから。
お店ごとの経営方針があるけど、うちはいつも変わらず、いいときも悪いときもまったく変わらず、
気がついたら38年経っちゃったって感じよね。
お店出したばかりのときは、お客さんがいなくて、明日つぶれるかもなんて泣きながら帰ったことも
ありましたよ。

でも、そういうのは、だれでも新しくお店出した人はみんな経験することでね。私も頭に10円禿2
つも3つもができたことあったもの。
周りがにぎやかだと、つぶれちゃうって。

今だって、これでうちの店は安泰って安心感はないです。それが商売。

>安泰はずっとない?

ないですね。
他の店はどうだろ?その人の性格にもよるかもね。

例えばサラリーマンでも、ずっと勤めてるとか首になるとか。私は打ちの店が安泰って思ったことは
1回もない。ただ古いだけで明日にもつぶれるかも。

(以降食事の話少々)


戦前戦後、ずっと新宿なんですよね。

伊勢丹が・・・

そういう人が、だんだんいなくなってきちゃったのよね。
だからよく話すんですけど、昔は良かったわねっていう。

あそこの、しょんべん横丁からずーっと西口の駅のところまで、表通りともう1本真ん中に両方店が
あって、ずっと西口まで通ってたのね。
線路沿いのところに、ずーっとやきとりやさんとか、なにしろ長くあって。

私が覚えてるのが、ナイロンのストッキングを進駐軍のアメリカ軍の奥さんだとか婦人将校だとかが
はいてて、でんせん切れちゃって、そういうの仕入れてくる人がいるわけ。

そういう破れたのを、かぎあみ棒みたいので刺繍するときみたいな丸いのにそのストッキングを金具
でつくろっていくの。
1本いくらって。

そのころは私少女時代ですからはかないけど、うちの姉は年ごろでそういうのを買ってくるのね。そ
れで修理に出すの。
今なら捨てちゃうけど、とんでもないわよ。

>当時いくらくらい?

わかんないわね、今で言うと、なにしろ高かったんだから。

それで、西口の表通りあるでしょ、向いがわに小田急ハルクと京王になってる、その通りの商店の仲
通はアメ横に近いような、舶来ものの化粧品とか売る人がきてて、珍しいものとか。

すごく、その頃よかったわね。

今の人たちは今の新宿しか知らないからだけど、雑然としていたけど、未来に希望があってね。
みんなひとえにものがなくて、みんな貧しかったの。

だから明日こそって活気があって。
今の若い人は目的がなくて、なんのために生きてるんだろうって。
それが、浮浪児だってめを輝かせていた時代だからね。

古い人と、昔の新宿は良かったですねって話して。なにしろ活気があったし。
貧乏だったけど、生きる目的があった。生きてるって舞台があった。明日こそなんとかなろうって。
今の人たちは物が満ち足りてて、希望が無いのね。

それと国際情勢が変わって、あたりまえなんだけど、凶悪な犯罪が増えたり。

>親のしつけ?

私たちは戦前に生まれて、戦中戦後生きてきてるわけです。
今の人は戦争を知らない。その人が親になって、どこまで責任持って親らしいことしてきたのかなっ
て。

うちの息子が47歳なのよね。
私の育て方で育ってきて、今は猛烈お父さんやってますけど。その息子の年代の中でも、親の考え方
の相違がある。

自分が苦労したから、子供には苦労させたくない。誰でもみなそうなんですよ。
子供がかわいいことと苦労させないことは別。私たちはいやおうなく苦労させられたけど、人間ある
程度苦労しないとダメね。

うちの子供が小学校5~6年のとき、PTAで親子対談があって。
私たちの子供のころは父兄会があって、昔は男が強いんですよ。そこにお父さんが来ると怖くて。
戦後PTAができて、お父さんたちは働け働けで忙しくて、女の人がいっせいにそういうところへ出
るようになって。
私はPTAの広報をやってたんですけど、PTA廃止論なんて書いちゃって。校長先生に「これを書
かれてはこまります」って。
今までは子育て専念してた人たちが、社交の場へ出るようになって、そうすると何勘違いしてるのか
着飾って、担任の男の先生なんて大変。

私はこの仕事してるから、男の人なんてくさるほど見てるからどってことない。警官、先生、お医者
様、先生なんてつく人はろくでもない。
PTAのとき、先生と終わってから飲み会。私は卒業までこういうお店やってることはひとことも言
ったことない。
先生に「もっと前に知ってれば良かった」って冗談じゃない。

おやかな物腰からは想像できないきっぱりとした口調で語ってくれる。いつもママはにっこり笑って、焼酎のお湯割りを差し出してくれた。

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2006-01-14

非凡会ディズニーシー研修

昨日は非凡会第三回。

いつもながら、がんばれ社長・武沢さんの
お話は内容が濃いし、わかりやすい。

足掛け2日で、本日は
加賀屋感動マネージメントさんのとりはからいでディズニーシーへ。
経営の視点から見たTDRということなので
ディズニー嫌いのワタシでも大丈夫かと思い参加してみた。

武沢さんや、マツダミヒロさんなどの面々と
TDRをぐるり。コースター系でショック療法。

さすが専門家の加賀屋さんだけあって
朝のたった3時間で5つのアトラクションを回る。
そしてワインつき極上ランチ。

200601140914000

←TDRのシンボル・海を表すランドマーク

こういうバックグラウンドのあるストーリー作成とか
五感に訴える方法とか、気づかないところに凝った演出とか
ワールドのつなぎ目の映画の演出的方法とか
いろいろな手法を解説していただきました!


200601141209001
←マンホールに書かれたTDRのスローガン
ちなみにキャストに合言葉のように言うとポーズとともに返してくれます(凄)

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2006-01-12

幸福感の少ない社会

朝や夜にくらべて夕方5時からのニュースは
悲壮感あふれている。

某調査機関によると子供達の幸福感が約57%と低いことが解る。
個人的な見解をいえば
子供達が家にいる時間帯がいけない。

最近はできるだけテレビは見ないようにしているので
そうでもないが、
いつだったか夕方いることが多かった時期がある。

夕方のニュースを毎日見ていると
人を殺したくなる気分がちょっとだけわかる。

夕方のニュースは殺人事件とか、増税とか、不況とか、
あるいみ悲劇的ワイドショーでしかない。
5時から6時まで前半の部分で悲壮感をあおり
後半の6時から7時のあいだにグルメ情報などを流し
庶民的な幸福感に浸らせる意味では
演出は間違いではないのだが。

気分的に閉塞された状態は、空気を読めない人を排除する社会へと繋がったりしたりして。

ちなみに子供達が一番不幸だと思っているのは40代。
つまりは子供時代もそんなに幸せではないが
どんどん生きていくうちに不幸になると思わされているということだ。

不幸を見せている人が子供達の近くにいすぎるのかもしれない。
子供たちに未来を託すより、まず自分が幸せになれ!と思うのだったよ。

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天国と地獄

フリーランスの醍醐味
それは好きな人とだけ組んで仕事が出来ること。

フリーランスの苦悩
それは何かのために大嫌いなやつに従うこと。

醍醐味も苦悩も
そんなにまだ味わってはいないけれど
両方とも、ちょっとだけかいまみている。

お気に入りのカメラマンとの仕事とかとか
気楽な上に、安心で満足できる出来がみえてて
かなり醍醐味の一部だと思う。
自分にとっては天国的な時間だ。

今年は醍醐味だけを堪能したい。
それでこそフリーになった意味があると思うのだが。


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2006-01-09

一文字違い

busP251iS02057
昨日今日と溝口由夏嬢ひきいる溝口組合宿のため安房白浜へ。
リゾートマンションのゲストハウス泊。

ツヴァイのayuとmeguも参加の
お楽しみバスツアー。

もちろん四谷天窓での発表会を控えた
強化合宿のため
ボイトレは必須なのですが
温泉卓球にあけくれる始末。

kinmeP251iS02056
なにより
金目鯛の煮つけが見事でした!


ちょっと早く抜けだし、白浜から溝口あゆかさんのセミナーのため一路東京へ。
きづくと一文字違いツナガリ。

セミナー的にはイマイチでしたが
聞きたいことは聞けたのでよかったかと。

6年後に行く予定のイギリス留学で
習いたいことがまた増えました。
か~な~り、てんこもりですね。
7年間で帰ってこれるのか心配になってます。

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2006-01-07

眞鍋かおり

kokodake
正月TVでよく見たもの
南海キャンディーズと
眞鍋かおり

ふだんテレビを見ないため
南海キャンディーズが
こんなに人気があるとは知りませんでした。

ちなみに眞鍋かおり
肌が汚いのがテレビでも良くわかった。
一押しは、韓国石鹸のLAPAM5020だと教えてあげたいくらい
テレビでわかるくらいなので
さぞや実物はすごいのだろう・・・。


さておきクリスマスのこの写真
ものすごいやらせ臭いと思ったのはワタシだけ??

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2006-01-06

全然眠くない。。

あっという間にすでに6日。
なのだが正月ボケ。
昼夜逆転中。

ご存知の方はご存知なのだが。
一部、天然のため
ボケると本気でボケてしまうという。。

年末、ダウンしたのもあって
いやに暇だな。。と思っていたら
メルマガを出し忘れた(爆)

メルマガをさらに2本増やそうと
目論んでいる人間のすることではなく。

なんか
話もまとまりませんが
仕事だけは溜まっていくのだったよ(嗚呼)

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2006-01-01

謹賀新年

明けましておめでとうございます!
Lgasyo

昨年色々とお世話になった皆様
有難うございました

今年もよろしければ
カシハラにお付き合いくださいませ

よろしくお願いいたします

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